2013年3月1日金曜日

研究者の非正規雇用化1

かつて、ポスドクというものが存在しなかった頃、博士号を取るとすぐ助手(現在の助教相当)となるのが順当な研究者の進路であった。その頃は、助手になると雑用が多く研究の時間を確保することが難しいことが問題であった。その為に、研究に専念できるようなポジションとして米国式のポスドク制度を導入すべきだという流れがあった。
これは、文科省の公務員の定数削減に利用され、助手の定員を削り、プロジェクトで雇用するポスドク制度として一気に導入が進むこととなった。その結果、日本で研究者の非正規雇用が急激に一般化してしまった。問題は、ポスドクを助教の下に置いたことにあり、当時の助手よりももっと待遇の悪いポジションとしてポスドクを作った結果、研究者の価値、労働条件をひどく低下させたことにある。
米国では、博士号を取って企業に就職するといきなりマネージャークラスとなり、年収もポスドクの倍以上が約束されるのが通常である。従って、その年収の低さ、待遇の悪さ、将来性の無さ故に、米国人はポスドクになるものは非常に少なく、大部分の若者は、博士号を取って企業に就職することを目指している。結果的に米国では大部分のポスドクは外国人であり、博士課程の大学院生さえも、米国人の割合はかなり低い。これは、米国の科学の発展を強く妨げていると個人的には感じている。それでも、米国の科学に活力があることの理由は、歴史の流れの中で、ヨーロッパから高い教育を受けた研究者が大量に米国に移住してきた為であろう。第2次世界大戦の前後、ソビエト連邦の崩壊、チェルノブイリの原発事故など、定期的に大きな戦争、変革、事件があり、その度に多くの研究者が米国に移住した。いわば、米国の科学の活力は、持続的に流入する外国人によって維持されてきたと言っても過言ではない。
 しかし日本では、研究者の地位を低下させ、不安定なものとして、しかし、米国のように外国人を受け入れる社会基盤は存在しておらず、一方で、望んでもそのような社会基盤ができるとは考えられない。博士号を取得して企業に就職しても、米国のようなメリットは全く無い。
多くの外国人、特にアジア系の外国人留学生に取って、日本で博士号を取ることの意味は、博士号を取ってアメリカに行く過程であろう。日本は恐らく世界でも最も平和な国であり、裕福な国でもあろう。もし博士号を取った後の道が日本国内でも開けるのであれば、現在よりも多くの留学生が日本にとどまるであろうが、そのような時代が来ることは希望的な夢物語としか思えない。
文科省の役人やその助言機関の大昔研究者であった人たちは、国際化、グローバル化という言葉が好きなようであるが、日本人の学生が博士号の価値を感じられないような現状で、外国人の留学生を増やせば、日本の科学研究の将来は無いとしか思えない。
まずなすべきは、博士号を取れば正規の職に就ける体制の確立であり、博士号の価値を本来のあるべき姿に戻すことである。最大の問題は、人件費を削減する為に助手の下にもっと給与の低い地位として、非正規雇用のポスドク制度を作ったことにある。
それほど、公務員の人件費の削減を図りたいのであれば、アメリカをモデルとしたグローバル化とやらを進めたいのであれば、アメリカのように教授の給与の固定部分を50−70%とし、残りの部分を教授が獲得した研究費から出すように定めれば良い。 これによって、定員削減をせずとも、大学の教官の人件費の固定部分は十分に減少するはずである。
とはいえ、議員定数の削減もできない日本で、大学教授の給与の固定部分を半減させるような変革を起こせる力が働くべくも無いが。












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