東京電力が赤字を回避する為に、柏崎刈羽の原子力発電の再稼働を申請するという。東電は、既に経営破綻し、福島の原発事故被災者の補償と一帯の除染、福島原発の廃炉とその管理等にかかる費用を向こう100年以上に渡って捻出し続ける為のみに生かされている会社である。そのような会社が、原発の再稼働を申請するというのは、経営者の感覚を疑う。
他の電力会社も懲りもせずに原発の再稼働を願って止まないが、事故は万が一でも起こるからこそ事故である。どのようなプラントであろうと、その設計と管理運営は、商業ベースである限り常に安全に掛かる費用と採算性とのバランスの上にあり、原発の事故の確率を更に一桁下げようとすれば商業ベースでは成り立たなくなる事は明らかである。それでも尚、一桁低い確立で事故は起こりうる。逆に言えば、あくまでも経済的に採算が合う範囲での安全性であり、その範囲において常に一定の確立で事故は起こりうる。
そして、ひとたび事故が起これば、瞬時にその電力会社は事実上の倒産状態となり、100年かかっても、どのように補償しようとも、汚染した国土が旧に復することはない。電力会社の経営陣は、原子力発電のリスクに対しあまりにも楽観的である。現に事故が起こり、3年を経てもなお汚染水の処理さえも漏洩事故が頻繁に起きているような状況で、安全性を主張する事の無意味さ、説得力の無さを感じないものか。あるいは、そのような危険にも矛盾にも一切目をつぶり、安全だと言いなして、本来の目的さえも見失って尚、己の利益の為に強引に再稼働を果たそうとするような精神の持ち主でなければ、電力会社の経営陣には成れないのか。
福島の事故を目の当たりにして、想像を絶する大きなリスクを抱えている事を見せつけられながら、電力会社の経営陣は何故原発の再稼働を図るのか。人が作り人が運営するプラントである限り、最低限にまで確率を下げる事に努めるとしても、事故が起こる事は当然である。それに対し明確な根拠も示さずに、専門家が安全だと保証しているから安全だではもはや通るまい。せめて福島の原発で広範囲にまき散らされた放射性化合物に対する有効な処理方法を開発し、仮に事故が起こっても環境に放出された放射性化合物を短時間で処理できる事を実証してみせれば、多少は再稼働にも説得力があるかもしれないが。
更にいえば、原子力安全規制委員会による安全審査というものは、時の政府の意向によってなんとでも成るものである。危険性を主張する専門家は最初から委員に含めなくとも一般の国民には分かりはしないし、マスコミもまた政府の発表をそのまま垂れ流すのみである。そのようにして、危険性を主張する専門家を排除してきた結果として、原子力発電が各地に建設されてきた実績があり、その延長線上に福島の原発事故と事故に対処する技術の欠如を我々は今見ている。
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