2007年9月、私はザールブリュッケン(Saarbrücken)で向こう一年程を過ごす為に、フランクフルト空港に降り立ち、始めてドイツに足を踏み入れた。案内板に従い、列車の切符売り場に無事たどり着き、ザールブリュッケンまでの切符もドイツ版みどりの窓口で無事購入して、「切符売り場を出て右手の階段を下りたところ」という窓口のお姉さんの教えに従って、切符売り場を出て右手の階段を下りると、そこはいきなりプラットフォームであった。少々うろたえて辺りを見回すと行き先表示の案内板があり確かにここで良さそうであった。しかし、ぼんやりして改札を素通りしてしまったのかと切符売り場まで戻ってみたが、やはり改札らしきものは無かった。
日本のような親切ではあるが騒音とも取れる頻繁なアナウンスも無く、色々な情報をあちこちに掲示して、その地を知らないものにはかえって戸惑う程に多すぎる掲示板がある訳でもない。列車の発着予定を示す案内板も簡単に一つ(電光表示でもなかった気がする)あるだけで、これもまた不安であった。ともかく、列車の車体についている行き先表示を何度も確認したうえで、時間通りにやって来た列車に大型のトランクを抱えて乗りこみ、約2時間半、多少の不安を抱きつつ、自転車で乗ってくる乗客や外の景色などを見ながら無事ザールブリュッケンに到着した。列車を降りて、切符をしっかり手に持って、トランクを抱えて階段を上り、出口に向かって歩くといつの間にか駅から出てしまっていた。
これは、非常に居心地の悪い感覚であった。その後一年の間、何かと世話になったブリッタ(Britta)が迎えに来ていなければ、もう一度ホームに戻ってみただろう。ブリッタに尋ねてドイツには改札が無いことを確認して、疑問符は脳裏に点滅しつつも始めて安堵した。それにしても、フランクフルトからザールブリュッケンまでの間、検札も無かったことは今でも不思議な気がする。その後何度か列車に乗る機会があったが、ドイツ国内ではついに検札を受けたことはなかった。蛇足ながら、ドイツの自動券売機は、日本のものとはずいぶんおもむきが異なり、大学の構内(大学は列車の駅からはバスで20分程の距離)にもバスと列車の自動券売機がおいてあり、私はここでバスの定期券を買っていたが、ブリッタにゆっくりやって貰いながらメモをして何度か自分で定期を買うことを試みたがついに一度も自分では買えないままであった。
日本のJRをはじめとする鉄道の駅では、高度に発達した自動券売機と自動改札が当たり前である。日本の自動改札の機能は驚くべきで、新幹線の改札などは切符を2枚入れても瞬時に乗車券と特急券を読み取り、出る時には機械が特急券のみを抜き取り乗車券は戻ってくる。切符に問題があれば瞬時にゲートが閉まる。あのスピードと正確さには信じがたいものがある。故障が少ないことも大変なものがある。比較にもならないが、アメリカのバルチモアで電車に乗った時には、総ての自動券売機は故障の張り紙がしてあり、自動改札も一番端の人がいるところのみ使用可能で、自動の部分は総て使用できない状態であった。アメリカのシステムは日本に近いが、似て非なるものである。
日本人はどこへ行こうとしているのだろうか。日本では、乗客全員から正確に料金を取ることを目指して、想像を超える高度の機能を備えた自動改札口を作り出した。その費用が乗車料金に含まれていることは間違いないものの、自動改札の製造によって多くの雇用が支えられたこと、高度の技術的進歩が有ったことは疑いない。ドイツでは、基本的に改札口自身を放棄した。従って、自動改札口を製造する為の産業も技術の進歩も無かったが、無ければ無いでことはすむことをドイツが証明している。列車を走らせるにあたって、乗客からどのようにして正確に料金を徴収するか、その最初のところで、日本とドイツは正反対の方向に向かったといえそうである。両者ともに特に重大な問題もなさそうであり、どちらの方法が優れているのかという議論はあまり意味が無く、どのような社会を望むのかということのようだ。
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