高齢化社会となり、65歳以上の人口が三分の一を超えるようになることに対して、だから労働者人口が減少し、これを補う為に外国人の労働者を受け入れる必要があると論じる向きがある。一方で、大卒の就職難で、大学を卒業しても正規雇用の職に就けない若者が増加している。
更に、雇用の流動性を高めるために、労働者の解雇の条件を緩める必要があると議論する向きもある。私には、これらの議論は、物事を短絡的に結びつけて、為にする結論を主張しているに過ぎないように思える。
1)高齢化社会において労働力の減少は起こるのか。
高齢化社会の到来で労働力の現象が起こることの理由は、現状の雇用制度と定年制を前提にしているからであり、より柔軟な雇用制度を導入し、労働者人口の減少を防ぐ努力が先に有ってしかるべきである。日本国民は、憲法により働く権利を保障されている。本人が働きたいと希望し、健康で働ける能力があれば、ただ一定年齢に達したからという理由で、働く権利を奪われる理由は何処にもない。これは一種の年齢差別というべき社会慣習 である。
生産性を上げる為に、給与の高い者には早めに辞めてもらいもらい、若く給与の安い者を雇いたい。この考え方が、長い間定年制を支えてきた。ここで言う生産性とは、経験者も未経験者も同レベルの仕事ができることが前提であり、同じ仕事ができるならば、支払う給与は安い方が、金額で見た生産性は上がるに決まっている。この種の前提を曖昧にした議論によって、高齢化社会が大変であるとしている。
米国では、基本的に定年はなく、本人が働き続けたいと思えば働き続けることができる。色々と問題がない訳ではないが、高齢者の人口の割合が増えるのであれば、定年制度を廃止することが多くの問題を解決するのではないか。
年金を受給できる年齢に達した高齢者が働き続けたいと希望すれば、年金を一部受給し、その分会社からの給与を減額するような形を取れば、年金の支払総額は大幅に減少し、企業の人件費負担も軽くすることができる。その為には、柔軟な年金制度として、いくつかのパターンで本人が受給額を決められるようにすることが必要である。
2)何故若者の就職難が起こるのか。
大学生が全員黒いスーツで就職探しに奔走し、なかなか決まらない為に、本来大学の4年生で身につけるべき知識と技術が何処かに飛んでしまっている。どうも人手は余っているらしい。
高齢化社会で労働人口が減少するから外国人の受入を推進しないと大変だという話とは大いに矛盾する。
労働力は足りないが、正社員ではなく、もっと給与の安い非正規雇用の労働力が欲しいということのようだ。
3)労働力として外国人を受け入れる必要があるのか。
明らかな論旨は、賃金の安い、非正規の労働力を雇いたいということである。研修・技能実習と称して外国人労働者を受け入れ、低賃金で過酷な労働に駆り立てることは、新しい奴隷制度を構築しようとしているに等しく、ただの犯罪行為である。
本来、国際貢献の目的を持って創設されたはずの制度が、技能実習とは名ばかりの単純労働を低賃金で強制することに用いられている。少なくとも、日本で身に付けた知識と技術を帰国後に役立てて母国の発展に資するなどという理想とは正反対のことが行われている。
介護の分野で外国人を受け入れようとしているようであるが、これもまた本末転倒も甚だしく、比較的良心的な雇用者であっても、単に賃金が安い為に日本人がやりたがらない重労働を外国人研修者にやらせようとしているに過ぎない。安い給与で研修という名の重労働を行わせ、介護士の国家試験に受かるように多少の援助はするとしても、受かったからと行って、彼らにどのような明日があるのか。2-3年日本で働いた後に帰国して、彼らが身につけた知識と技術が母国でどのように役立ち明るい未来を描くことができるのか。日本において良心的な雇用主から多少はましな、しかし日本人から見れば安い、賃金を得て多少の預金を持って帰国はできるかもしれない。日本での多少の貯金は、母国では大金であるかもしれないが、彼らが日本で身につけた単純作業の経験が母国で新しい人生を開く為に役立つことがないのはいうまでもない。
4)グローバル化社会の構築
果たして、日本人でグローバル化を望んでいる人などいるものだろうか。日本を外国人に対して開くということを本当に望んでいる日本人がどれほどいるものだろうか。
日本政府は、外国人が国内で働き収入を得ることに寛容ではない。それでも低賃金の労働者を得たいという需要があり、国際貢献を目的に始められた外国人研修制度が歪められ利用されて、様々な問題を生じてきた。
グローバル化と称して、英語が話せるようになりたい願望を刺激して、グローバル化が時代の必然のように言いなされている。より多くの日本人が海外で働くことに対し、日本に暮らしている人たちが不快感や不安感を覚える必然は多くない。しかし、より多くの日本人が海外で働くということは、より多くの外国人が日本で働くことを導くものである。
文科省は、闇雲に日本の大学の外国人の割合を増やしたいと考えているようだ。外国人教員の数を増やし、外国人留学生の数を増やそうとしている。しかし、日本で学んだ留学生達が希望を持って帰国できる環境が整っているケースは極度に少なく、一方で、日本の大学院で博士号を取得しても日本国内で正規雇用の職に就ける様な受け皿も極度に少ない。結果的に、日本で博士号を取った留学生達は、アメリカでポスドクとして働き、その後アメリカの企業に就職を決めることとなる。アメリカの方が企業の受け皿も多く、また永住権も取得し易いという背景がある。
結果的に、高い教育と経験を持った外国人は、日本では受け皿が無く安定した職を求めてアメリカへ行く。そして、倫理的な問題があろうと低賃金の労働者を求めるような雇用者達は、外国人研修制度を利用して低賃金でも文句を言えない外国人労働者を奴隷のようにして使う。このような出稼ぎ労働者達に正規雇用の希望はなく、雇主の都合が悪くなれば真っ先に解雇され、頼れる者もなく行き場のない日本という外国で路頭に迷うこととなる。当然犯罪は増加し、社会不安が増すこととなる。
習慣も言葉も異なる外国人を受け入れる環境が日本には乏しく、グローバル化を唱える大企業であっても、日本国内で働く人材として外国人を雇用する覚悟はほとんどなさそうである。