文科省役人の大学院生に対する認識は、大学院生は命じられて教授の研究の“お手伝”いをするという、恐らく現実には、昔から存在していない、奇妙なイメージに塗り固められている。テレビドラマでは、教授の論文の“お手伝い”の為に学生が実験をしてそのデーターを教授に提供し、教授が学生の知らぬ間に論文を書いて、自分の名前で発表するという奇妙な場面が普通に出てくる。この事実からすると、テレビドラマの原作や作成に関わる(かなり特殊な)一般人の認識もそのようなもののようである。
この文科省役人達の、現実とは乖離したイメージに基づいて、大学院生に対する奨学金の概念がいびつな形で作られる。彼らの仮想空間では、大学院生は、勉強を教えてもらう存在であり、仕事として研究をしている存在ではない。教授は研究をしているらしく、学生はその“お手伝い”をするのである。従って、学生の勉強には給与は支払えないが、教授の研究の“お手伝い”をするその労働に対して、パートとしての給与を支払うことができる。しかし、あくまで教授の研究の“お手伝い”に対してであるから、この“お手伝い”の時間数を決め、その時間に学生が講義にでていたのでは労働への対価としての理屈に矛盾が生じる。従って、パートの時間を決め、学生の受講と重複する事が無いように求める。
これは、科研費だけではなく、国の様々なプログラムでの大学院生への経済的支援策も、同様な発想とつじつま合わせの下にある。教授の研究の“お手伝い”として、リサーチアシスタントという呼称で、パート雇用として給与を支払うことができる。当然、学生の受講に支障が無いようにとの理屈で、週当たりの時間数に制限を付ける。結果として金額にも制限がつく。彼ら役人に取って、学生はあくまで講義にでて教授に学問を教えてもらうものであるらしい。
現実世界においての博士課程の大学院生
まともな研究室では、教授は学生に一つの研究テーマを与え、学生はそれを自分の研究として遂行する。博士課程の学生が博士号を取る為の最低限の資格は、指導教官と相談をしながらという事は当然であるが、学生自身が与えられた研究テーマについて関係する論文を読み、考え、自分で研究計画を作り、実験を行い、結果を解析して、これを英語の論文として書く事、そして教授のチェックを受けて学術雑誌に投稿し、採択されて、出版物として論文が発表される事である。
従って、当然、教授の研究分野の研究ではあるが、必ずしも、教授が良く知っていたり、ある程度の経験がある研究テーマではない事も多い。学生は与えられたテーマを自分の研究として取り組み、結果を出して発表するのであり、教授の“お手伝い”で何か実験をするという状況が生まれる事は、普通の場合まずあり得ない。通常は、中心となって研究を進めた学生が論文を書き、従って学生が筆頭著者となる。これに助言した、あるいは多少手伝った職員の名前がその後に続き、全く何もしなかった教員の名前も続き、研究統括者(通常は教授)が著者の一番最後にくる。従って、まともな大部分の研究室では、テレビドラマのような、教授の研究の“お手伝い”をするという状況がそもそも発生しない。
しかし、どの世界にも、まともとは云い難い人間は存在する。数人の悪評の高い教授を知らない訳でもない。中には、「学生は論文など読まずに、云われた実験だけしていれば良い」と公言してはばからない教授もいるし、「余計な実験をするな」と学生を叱責するものもいる。あげく、学生にはいっさい論文を書かせず、データーだけを出させて、論文は総て教授自身が書いて投稿するものもいる。そのような評判の悪い教授でも、通常、筆頭著者は実験をした学生とし、自分の名前は著者の一番最後とする。つまり、教授に取っては、筆頭著者である必然は何処にも無い。
この手の教授が何故大きな批判も浴びずにいられるのかと云えば、研究に熱心でない学生にとっては、苦しんで勉強せずに、云われた事だけやって、データーを出せば、自分では論文も書かずに確実に5年以内で博士号を取得でき、製薬会社など有利な企業に就職できるからである。少なくとも、予め教授の評判を知っていて、その研究室を選ぶ学生がかなりいる事も事実である。
本来目指すべき大学院生の奨学金制度
話を戻すと、大学院生は、与えられた一つの研究テーマに対し、これまでに何が知られており、今後何をすべきかを調査し、研究計画を練り、実験をして、結果を出し、論文を書く。自分に役立つと思う講義・セミナーに出席する事も、実際には研究の一環であり、この総てが、研究者となれば必要なものである。つまり、教授の“お手伝い”なるものも、ただの“お勉強”なるものも存在せず、大学院生の活動の総てが必要な研究者としての第一歩の練習であり、実際の研究を進めながら、自らを訓練していると捉えるべきである。その研究の成果として、現に論文を書き、発表している。そして、そのように捉えるならば、文科省の役人が考えるような姑息なつじつま合わせを行う必要はなく、大学院生が現に研究を進めている事に対し、給与を支給する事に問題は生じない。
本来目指すべきは、奨学金として大部分の大学院生に給与を支給できるシステムの構築であり、大学院の5年間、自身を研究者として訓練する事に集中できる環境を整備する事である。この意味において、現在の日本学術振興会の特別研究員制度を、大学院生の大部分がカバーできるまでに拡張する事を目指す必要がある。
大学院生を科研費でパートとして雇用するというのは、役人の姑息なつじつま合わせの産物である。まして、大学院生に対して、5年間の生活費を支給できるだけの科研費を取り続ける事ができる研究室はそう多くなく、大学院生はとりあえずパートの雇用を得たとしても非常に不安定な生活を覚悟し、金額も少ないので、金持ちの子弟でない限り、アルバイトを絶やすことはできず、研究に専念するという環境には無い。
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